(お話)迎え火に想う
盆入りする7月、地域によっては8月の13日にお墓やご自宅の前で火を焚きご先祖様のみ霊をお迎えする習わしを迎え火といいます。普段忙しくしておりますと、ご先祖さまのことを考えたり、家族で話をする機会が少なくなったりしませんか。迎え火を焚きご先祖様をお迎えすることで、今生きている自分達だけでなく亡くなった祖父母等がいるからこそ今の自分達があるのだと実感できるのです。もう5年くらい前のことですが私自身そのように考えさせられる出来事がありました。
私の住んでいる地域では8月13日に迎え火を焚きます。我が家では大体夕方18時30分頃からそのようにする習慣となっています。その日は朝7時から息子3人と檀信徒様のお宅を歩いてお参りする棚経を行います。午前中に100件程度、午後1時からのお施食を挟んでその後車を使ってお寺から少し離れたところ30件程度お参りします。こういった行事が終わるのがおおむね夕方6時頃。この後私の両親と家族一緒に5~6人で迎え火を焚くことになっています。
迎え火ではわらやおがらを焚くことが多いようです。地域によっては高い竿の先にたいまつを燃やしたり、灯明を点じたりする例もありますが、私のところでは乾燥した松の葉と鉈で細く割った木片を用います。
引鏧を鳴らして一緒にお経を読み始めます。引鏧とは鳴り物法具の一つでチンと高い音が鳴ります。般若心経と舎利礼文ですが、こんな感じです。子供が読むと声が高くなりますね。私は一緒にお経を読みます。そうすると様々な事が思い出されます。この子たちは、特に上の2人はよく言うとやんちゃな所があって今はこうして手伝ってくれますが、しばらく前はとてもそんな感じではなかったです。私はその時居なかったのですが、妻方のお年忌に出席しお経を読んだ後にお墓に行くと、お墓を囲ってあるこのくらいの石を長男と次男でかたっぱしから落とし始めたそうです。私はその事をお墓に随行したお寺さんから聞いて、なんとも申し訳ない気持ちになると同時に今後どう育てたらよいか悩んだものです。そんな子等がこうして手伝ってくれるようになったのだな、とありがたく感じていました。
それだけではなく祖父母のことが思い出されました。私は両親が忙しかったので就園するまでは毎日火鉢のあった応接間に居た祖父の膝におりました。また、朝母の居ない寝室からよく祖母の布団にもぐったものです。私はそれを子等に話します。へーそうなんだ。火鉢ってなに?とかそんな感じで特別なにか感動的なものがあるわけではない返答が返ってくるのですが、また何気ないやり取りなのですが、私はそこに大切なことがあるような気がしました。今迎え火を焚いているのはここにいる家族だけだれども、この瞬間はそういった以前からのつながりがあって今こうしてここにいられるのだなと。子供たちも今後大きくなったら、どこかでそういったつながりを感じてもらえたらよいなと思いました。
皆様もこの夏迎え火をお焚きになると思いますが、ご先祖様をお迎えして些細なことでもご一緒にお話しになってはいかがでしょう。今は亡きご先祖様とのつながりを感じられるきっかけになると思います。
最後に曹洞宗梅花流詠讃歌に盂蘭盆会御詠歌という歌をお唱えします。
57577の和歌の形をしています。
子等の焚く迎火の炎のさゆらぐは みたまの母の来たまえるらし
みたまの母というのは亡くなった母親に限定せず、亡き人・ご先祖様と解釈されます
令和6年7月11日
北松山 西湖院
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